什么是民歌呢?-解放軍文職人員招聘-軍隊文職考試-紅師教育
發(fā)布時間:2017-08-14 09:16:31民歌是人民的歌、民族的歌,是真實(shí)反映勞動人民情感、生活的歌曲作品。民歌以口頭傳播,一傳十十傳百,一代傳一代的傳下去至今,每個民族都有自己的生活方式,并在代代積淀與傳承中形成了自己獨(dú)特的文化。不同的文化又賦予了音樂不同的形式和內(nèi)涵,形成了風(fēng)格迥異的民族音樂。它們是音樂文化的基礎(chǔ)和源泉。民歌分為山歌、號子、小調(diào)三種體裁?;▋海夯▋菏敲窀璧囊环N體裁。是甘肅青海寧夏新疆少數(shù)地方的民歌的簡稱。音調(diào)高亢。 花兒 (亦稱少年),是廣泛流傳于我國西北地區(qū)的一種情歌,也叫山歌。 花兒 是青海民歌之魂,每年農(nóng)歷四月至六月,河湟谷地春意盎然,各地別開生面的花兒演唱會也相繼開始。 花兒 屬于中國民歌體裁中 山歌 的一種,流行于中國西北隴中高原。其傳唱范圍約在賀蘭山以南,六盤山以西,岷縣以北,日月山以東這一跨越寧夏、甘肅、青海三省區(qū)的寬闊地帶及新疆的昌吉回族自治州。由于這里是多民族雜居地區(qū),因而 花兒 是回、漢、土、撒拉、東鄉(xiāng)、保安以及藏、裕固等民族共同喜愛的民間歌曲。1.學(xué)案導(dǎo)學(xué)2.欣賞歌曲《花田錯》感受其中的民族音樂元素并回答問題。3.欣賞兩首歌曲江蘇《茉莉花》和河北《茉莉花》 ,并說出兩首歌曲的風(fēng)格有什么不同。4.欣賞《槐花幾時開》 地域:宜賓 體裁:山歌分析語言特點(diǎn):四川方言演唱,起承轉(zhuǎn)合的結(jié)構(gòu),層次分明、結(jié)構(gòu)嚴(yán)謹(jǐn)。分析:這首民歌對感情的表達(dá)是怎樣的?從演唱者的聲音上判斷這個女孩的性格是怎樣性格?感情表達(dá)含蓄(表面羞澀,內(nèi)心急切)且女孩子的性格潑辣。歌詞:淳樸含蓄、形象生動,言簡意賅,富于想象,體現(xiàn)了東方人含蓄的特點(diǎn),反映出南方民歌對愛情的表達(dá)比較含蓄的特點(diǎn)。襯詞 啥 、 啥子 等體現(xiàn)了四川方言的特點(diǎn)。節(jié)奏:節(jié)奏自由,富有山歌的特點(diǎn)。旋律:優(yōu)美流暢,瑯瑯上口。討論:為什么四川民歌是高亢、激越的?秦嶺、淮河以南劃分為南方,秦嶺、淮河以北劃分為北方。四川是盆地,盆地周圍是高原,盆地中央以丘陵地貌為主,盆地內(nèi)長年霧氣彌漫,濕氣很大,人們喜歡吃辣椒來排汗,性格就像辣椒一樣的火熱,待人熱情、友好,性格直爽。宜賓平均海拔在1000米左右,地勢多變,有高山也有丘陵。長期的生存環(huán)境、生活方式?jīng)Q定了人的性格。民歌是人民情感的直接反映,四川民歌以高亢激越為主,但也有不少婉轉(zhuǎn)曲折的音樂。四川屬于西南方,盡管人們的性格比較潑辣,但是女孩子對感情的表達(dá)是含蓄的。這首民歌體現(xiàn)了東方人的含蓄之美。這首民歌中的 花 在這首民歌中的意義:借花喻人?;ㄔ诿窀柚械氖褂煤艹R姡饬x一般不一樣。南方人對情感的表達(dá)比較含蓄,那么北方呢?5、分析《上去高山望平川》 地域:青海 體裁:山歌 花兒這首民歌的旋律、節(jié)奏有什么特點(diǎn)?花兒:花兒是民歌的一種體裁。是甘肅青海寧夏新疆少數(shù)地方的民歌的簡稱。音調(diào)高亢。 花兒 (亦稱少年),是廣泛流傳于我國西北地區(qū)的一種情歌,也叫山歌。6、欣賞《川江號子》感受其中的節(jié)奏有什么特點(diǎn),與勞動生產(chǎn)的關(guān)系。拓展探究 《山丹丹花開紅艷艷》一、填空。1、民歌分為 、 、 三種體裁。2、 花兒 是一種山歌,流傳在 、 等地。3、《槐花幾時開》的節(jié)奏特點(diǎn)是 。什么是民歌?
解放軍文職招聘考試『おしずとたぬき』-解放軍文職人員招聘-軍隊文職考試-紅師教育
發(fā)布時間:2017-06-29 13:21:35―山口県―戦國(せんごく)のころ、青海島(おうみしま)に漁師を父にもつ、おしずという八つになる気だてのやさしい娘がいた。ある日のこと、この島にきた一人のかりうどが子だぬきを生けどった。これを見たおしずは、かわいそうに思って、お父にせがんで、これを買ってもらい、うら山に逃がしてやった。子だぬきは、何度も何度も頭をさげて山おくの方へ消えた。それから十年、戦に破れて、傷をおった一人の若い落武者が、この島にのがれてきた。おしずは親身になってかんごをした。若者の傷はうす紙をはぐようになおっていった。こうしたことから二人はめおとになった。それもつかのま、追手のきびしいせんさくは、この島まで追ってきた。お父はある夜、こっそり二人を舟で九州へ逃がしてやった。ある寒い夜のこと、お父はいつものように浜からさびしく家にかえると、ふしぎにも家の中はあかあかとあかりがともり、ろばたの火ももえさかっていた。見ればそこには、十年前のあの子だぬきが、お父の好物のどぶろくをもってきてすわっていた。それから毎日のように、たぬきはどぶろくを持ってやってきた。あるとき、おしず夫婦は、お父を迎えに、島にかえってきた。お父は、なが年すみなれた島を去ることになった。いよいよ、舟出の日がきた。それはまん月の夜であった。たぬきは西円寺のうら山にかけのぼり、おや子三人をのせた舟の姿が、はるかかなたに消えるまで、涙をながしながらポンポコポン、力いっぱいに、自分の腹をたたきつづけた。それからは満月のたびに、はらつづみがきこえるという。おしずたちの船出した浜を しずが浦といっている。これきりべったり ひらのふた。